私(Kumiko)の大学時代の恩師は、日本で2番目にホスピスをつくった人で、精神科医でした。早めに忘年会の予約を入れないと、忘年会ができなくなるくらい多忙な方で、ほぼ、毎晩のように講演でスケジュールが埋まっていました。そのような方であるにもかかわらず、偉そうなところが全くありませんでした。
学生だった私の目には、ダジャレと川柳をこよなく愛する普通のおじさんに映りました。50代になって初めて大学教授となったその先生は、他の教授陣とは少し違いました。現場での経験を生かした先生の授業は、学生たちにも人気がありました。単なる机上の学問ではなく、生きた学びがありました。ユーモアのセンスを大切にされる方で、どのネタが学生に受けたかを手帳に記録するまじめな先生でした。
実習の一環として、ホスピスの回診に学生が交代でついて回りました。今から20年も前の話になりますので、癌の告知をするかどうかが議論されていた時代です。上から目線で、偉そうにしていたお医者さんがたくさんいた時代です。そんな中、私の恩師は患者さんと目線を合わせて話すことにこだわりました。
当時、ホスピスには私の恩師を含めて4人の医師がいました。外科医、内科医、麻酔科医、精神科医、みんな専門分野は違いました毎週2回、4人の医師が一緒に回診に回りました。週に1回は、担当の医師や看護師以外にもたくさんの人が参加するケース会議がありました。バックグラウンド(専門)の違う人たちが集まって、どうしたら患者さんがその人らしく最後まで生きることができるか(QOL)が話し合われました。私にとっては、貴重な経験でした。
今でも私の心に残っている一人の患者さんがいます。病院の中の一番いい部屋に入院していたおじいちゃんです。いつも入口に背を向けて、丸くなってベットの上に横たわっていました。ある会社の会長さんで、200坪くらいの家を2軒持っていて、何人もお手伝いさんがいるそうなのですが、だれ一人、お見舞いに来る人はありませんでした。
片方で、個室に入院する経済的ゆとりはなくても、毎日、入れ替わりで誰かがお見舞いに訪れ、いつも楽しそうに話をされている患者さんがいました。
「人は生きてきたように死んでいく。」私の恩師が、いつも言っていた言葉です。